坊主頭のクリスチャンが舞う神楽


野らり暮らりのある祓川地区には、

国の重要無形民俗文化財に指定されている神楽があります。


祓川(はらいがわ)神楽。

毎年12月の第2土曜日の夜7時から翌朝7時まで、夜を徹して奉納されます。


やまちゃんも、4年前から舞っています。


本来なら、この地区に住み、霧島東神社の氏子で、さらに長男でなければ舞うことは許されない神楽ですが、この祓川地区もほかの地方同様に高齢化がすすんでおり、舞手は減る一方。

一晩中続くさまざまな舞を、同じ人たちが何回も登場して舞っているという状態です。


それで、この土地に移住してきたやまちゃんにも、神楽に出ないか?とお声がかかりました。

しかし、やまちゃん、今この地区に住んではいますが、三男だし、しかも根っからのクリスチャンです(そして見た目は坊主です←関係ない)。


それでも、よか、とのこと。

(懐の深い住民の皆さん、そして寛大な神様方に感謝。)


こうして、最初はあまり気が進まなかったものの、気のいい仲間たちにも可愛がってもらい、ここ4年間、真剣に取り組んでいます。



主な見どころの一つとされるのは、「十二人剣」。


祓川神楽の大きな特徴のひとつが、真剣、つまり本物のよく切れる剣が用いられるという点ですが、その中でも、12人の男たちが狭い舞殿の中で真剣を振り回し駆け回る、勇壮な「十二人剣」はとても迫力があります。


やまちゃんも、3年前から12人のうちのひとりとなり、去年はちょびっと指をケガしましたが、今年は余裕さえ感じられました。





なぜ余裕だったかというと、今年はすでにさらに大きな山を越えた後だったからです。



今年、やまちゃんは新たな演目を仰せつかったのでした。


舞も初めてのものである上に、一人で舞う場面もある演目。

しかも、2ページ分もある”神歌”を覚えて、ひとりで唱えなければなりません。

一聴しただけではなんのこっちゃわからない、古い古い言葉で、音程というほどの抑揚もない、なかなか覚えるにはハードルの高い歌です。

神楽のリズムと音階というのは独特で、わたしたちのような西洋のリズムにどっぷり浸かってしまった新参者にはなかなかつかみ所がなく、でも、すてきに心地よいゆらぎがあります。


しかし、やまちゃんにはもはや”すてき”などと言っている余裕はありませんでした。

そこから、受験前の学生のように、暗記に打ち込むことになるのです…



神楽までのやまちゃんは、3つの時期に分けられます。


11月ピリピリ期:

普段は柔和なやまちゃんが、ピリピリとした空気をまとうようになりました。

暇があれば、過去の映像を見ながら頭に叩き込んでいます。

だいぶプレッシャーを感じているようす。


12月イキイキ期:

舞をほかのメンバーと合わせて、徐々につかめてきた様子。

次第に晴れやかな表情になり、姿が見えないなと思ったら「はなれで自主練してきた!」と部活を楽しむ中学生のように目を輝かせる日も。


直前ウワノソラ期:

レコーダーに吹き込んでもらった神歌を、繰り返し聴きながら口ずさむ日々。

片時も神楽のリズムと節回しが頭を離れないようすで、

よく目が宙を泳いでおり、会話の途中でもフッとどこか遠くへ行ってしまう。

(職場の仲間からも、「どこからか神様の声が聞こえると思ったら山本さんだった」との証言あり。)



そうして迎えた当日。

人前で話すのにもめったに緊張することのないやまちゃんですが、一声目、自分でも声が震えていることに気づいてびっくりしたそう。

でも、堂々とやり切りました。

仲間たちも「まさか全部覚えてくるとは思わなかった」と目を丸くしました。


これで、次から出番が増えることは必至でしょう。

さあ、やれるのか?やまちゃん。





今年は、比較的寒さの厳しくない夜だったこともあり、めぐも、3年越でようやく全ての演目を観ることができました。(ところどころ睡魔に負けて、記憶はとぎれとぎれですが。)


掌に収まる小さな画面で、分刻み秒刻みで自分の気に入った情報だけを選びとることのできるこの時代にあって、

闇の中に揺れる炎に囲まれながら、ただただ目の前でひたすらに繰り返される笛と太鼓、そして人の躍動を感じ続ける。

現代ではめったに体験する機会のない、その間(ま)とゆらぎの中に身を投じていると、時間や空間を超えて、自分たちは太古からの大いなるものの営みの連なりの一部なのであると、実感します。




そして、空はいつの間にか明るくなっていきました。



その年の親とされるお家へ歩いて行き、一年の安定を祈願します。

その締めは、家の玄関に吊るされた藁の束に4本の矢を打ち込むこと。

うち2本はやまちゃんの役目。


パシッときまりました。

きっと、これからの一年は大丈夫。





今年は、残念ながら無観客での奉納となりました。


しかし前日の夜に、霧島東神社の宮司さんは言いました。

「無観客で当たり前、神楽は神様に奉納するものでもあり、亡くなって山へ還っていった方々への奉納でもある。」


元来、神楽は人々に見せるためのエンターテインメントではなく、神様への感謝と祈りを示すためのもの。

また、霧島東神社はもともと、霧島山そのものを信仰対象とする山岳信仰であり、霧島山を道場とする修験者の拠点でした。

今ここに存在はしない、でも、たしかに今ここに存在するもの。

神楽の夜、わたしたちはそうしたものに出会い、思いを馳せるのかもしれません。


神楽の夜が明けた朝、祓川神楽保存会の会長さんも言いました。

「神楽本来のあるべき姿に立ち返ったようだった。」





今、世界中がウイルスという目に見えない存在に揺さぶられ続けていますが、

そこに何を見て、どう振舞うのかは、わたしたちひとりひとりに委ねられているのでしょう。

ここからが、はじまりなのかもしれません。


山の家 野らり暮らり

retreat & liberation

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