野暮る日々(ブログ)


「音がくるってるよー、音が出ないよー」板橋さんが叫ぶ、ステージに上がってピアノを見てみるが何もわからない。何人ものお客さんの視線がこちらを向いている。


夢はそこでさめた。部屋には昨夜「一緒に寝ようよー」と言ってくれた瀬尾家の子、楓子ちゃんがまだ寝ている。旅の疲れもあるのかここに来てから朝はゆっくり寝ている。


外は快晴。いよいよ涛踏ライブの日。昨年から準備してきた一日。


8時半、ピアノ調律師の木村さんが時間ちょうどに到着。

ピアノ運びと駐車場係を頼んでいた地区の神楽の先輩2人もきてくれた。

普段は多目的スペース(ただごちゃごちゃしている場所)が今日はステージになるので、そこへピアノを運び出す。

「また昼過ぎに来るからー」と先輩2人は帰っていく。心強い。



60年前に製造されたヤマハのスピネット型ピアノ、このライブを開催するにあたって一番の問題は板橋さんが弾くピアノで、借りてくるにしてもどこから?誰から?その状態はどうなのか?というかあてもない中、知り合いが「譲る」と言ってくれた。それをまず家まで見にいって、状態の確認、運び出し、部品交換、メンテナンスと何度も何度も我が家に足を運んでくれたのが調律師の木村さん。


ピアノを前に「いよいよですね」と言うと、いつものように「すぐ逃げられるように車は出しやすいところに置いとく」と返ってくる。

スピネットという型のピアノは珍しく、構造も複雑で触りたくないという調律師もいるようで、木村さんも触ったことがない型だ。うちに来るたびに「いきなりいなくなって連絡がつかなくなったらどこか壊したと思って、逃げる木村だから」が口癖。この日を特に不安に迎えたのは木村さんだろう。

 

「じゃあやろうかな」と言って調律をし始める。

その背中から「逃げないよ、大丈夫、最後までやるよ」というオーラがしっかりでていた。

わかってますよ。



レオナ(全身打楽器)板橋文夫(ピアノ)瀬尾高志(ベース)の涛踏メンバー3人はツアー5日目の都城のライブを前夜終えて泊まり、昼前に戻ってきた。疲れも見せずすぐステージの準備にとりかかる。

うちでは初めてのライブなので、マイクの位置、スピーカーの場所、音のバランスなどなどいろんなことを手探りでやる。

音響の機材は宮崎のジャズ屋草野さんからずっと借りているもので、機材チェックも事前に一緒にしてくれていた。


板橋さんが木村さんに「思ったより良く鳴るよー、このピアノ」と言っているのでホッとする。

でも「最後まで持つかなあ」とポツリ。やはり不安も残る。

会場は2時半、あっという間に時間がせまっていた。 




今回、高原町の人気カフェVOTEが週末のお店も忙しいはずなのに出店を引き受けてくれて、スコーンやタルト、コーヒーも出してくれた。これで場の雰囲気がいっそう華やかになる。


本番前に演奏してくれる、まり子さんとれい子さんがアコーディオンを持って到着。

まり子さんは僕たちが8年前に御池キャンプ場で結婚披露フェスというのをやった時にも駆けつけて演奏してくれた。

れいこさんは今回のピアノを譲ってくれた本人でもあり「ピアノ大丈夫かなあ」と今回不安を感じている1人でもある。


続々と車が集まってくるもすでにスタンバイしてくれている神楽先輩2人がなんなくさばいている。やはり心強い。2人のために夜の焼酎は十分用意してある。


聴きにくるお客さんは、多くは近所の人たちでいつも仲良くしている友人や、音楽好きの人、今回初めて連絡をくれた人たちもいる。

おそらく今回のような演奏を聴くのは初めての人が多いのではないだろうか。




受付は尊敬するかなえちゃん、金庫やお釣りを計算する道具などを持参してくれて、来た人たちと自然に会話しながら慣れた手つきでやってくれる。素晴らしい。


部屋の中で音合わせをしたアコーディオン2人が外に出てきたところでいよいよスタート。

「度胸試しと思ってやります」と蛇腹が動き出し2人の音色が合わさる、マイクを通してないのに優しい音が十分ひろがっていく。

まり子さんはアコーディオン熱が燃えていて、月一回自分のパン屋である自分のお店の2階で、アコーディオン教室を福岡から先生を招いて開いている。もう10年以上なるだろうか。

「度胸試し」と言いながら、場数はかなり踏んでいるので聴く方は最後まで落ち着いて聴いていられる。

次は自分たちが演奏するということも忘れていた。



2人の演奏も終わり、僕たちの演奏はサックスとめぐのアコーディオン、ある時期は一緒に練習してたけどお互い忙しく最近はほとんど練習していない。

練習してないので持ちネタが増えていることもなく、今まで何度もやってきた2曲。1曲目は「コンノートの靴みがき」という曲。2曲目は「ハバナギラ」というユダヤの民謡曲。


中盤からゆっくりと登場してきた瀬尾くんがベースを抱えて僕らの横で弦をはじき始める、レオナのタップも入ってきてリズムが良い、板橋さんも鳴り物で後押ししてくれる。

アドリブに入り「もっとデタラメに思いっきりやったらいいんだよー」と前日に一度合わせた時に言われた言葉がよぎる。「デタラメでいいって言われても・・・」とそもそもデタラメにしか吹けない。




東北の震災後、2年近く滞在していた時、たまたま出会った瀬尾くん(ということは付き合い13年くらいになるな)とは年に一回ぐらいしか会えてないけど、一緒に演奏するなんて思ってもなかった。

デタラメサックスの横で「イイゾーー!」という表情でこっちを見ている。激しく弦を弾いているのに音色は柔らかいし野外なのに響く。さすが。いや浸ってる場合じゃない、とにかくデタラメに吹くのだ。

「ジャジャジャジャジャッジャ!!」曲の最後決まった・・かな?「イエーーイ!!」の声が客席から飛んでくる。


無事に僕たちの演奏が終了、あとは踏の3人にお任せします!




3人の演奏の感想は言うまでもない。

とにかく心が揺さぶられる、なんならステージと化した多目的スペースもタップの勢いで揺さぶられる、いや、ピアノも少し跳ねているのか?ピアノ大丈夫か?木村さんの顔は見ることができない。

激しくも優しい音が山に跳ね返り、空間を包む。


ファーストステージは圧倒されあっという間に過ぎていった。



休憩中はいろんな人と話をして、BGMをかけるのも忘れていた。それでも違和感なく過ごせたのは、場所の力があったからだと思う。


高千穂峰が見え、鳥がさえずり、蛙の声もBGMになっている。



ファーストステージの勢いそのままにセカンドステージも圧倒的。

「板橋さんはピアノを鳴らすんじゃなくて空間ごと鳴らすんだよ」とレオナが言ったのがしっくりくる。


2曲目が終わって板橋さんが「次の曲入ってきてよー」 「えっ!」 「アリゲーターダンス入ってよーできるでしょー」 「え?」


本当に突然でできるのかどうかわからないけど、こんなチャンスない、やるしかない。



板橋さんのライブを最初に見たのは、たしか16年前くらいかな、福岡の東峰村というところにある廃校であったライブだった。


やはりその時も勢いに圧倒された。今思うと教室全体が響いていた。なんだこのピアニストは!

衝撃を受けそれからどこにいても近くで板橋さんライブがあれば聴きに出かけていた。行けば必ずエネルギーをもらう。俺もやれるぞ!というエネルギー。

板橋さんのCDもたくさん手に入れ聴き続けている。多分一番長く聴いているピアニストだ。


そのピアニストから「一緒にやろう」という誘いは突然過ぎても断る理由はない、ただどう演奏すればいいかわからない。

ほとんど人とやったっことがなく僕はいままで誰かのCDをかけては、適当にやっているだけなのである。それも合っているかどうかもわからず。



「高音をさ、ビャーっとやればイイんだよ、ビャーーっと」と板橋さんのアドバイス。わかるようなわからないような。

「やまちゃん音いいじゃん」と瀬尾くんから前日聞いた褒め言葉を真に受けてサックスを抱えて構える。曲が始まり板橋さんから合図が入る。

「アリゲーターダンス」あっ!この曲か!(やるしかない!ビャーッとやればいいビャーーッと!)


前日の瀬尾くんからもらったもう一つのアドバイス、「これ合ってるかなあ、どうですかねえという気持ちでなんかなくていいから、俺はこうなんだっ!てやればいいんだよ。」



ただひたすら無心に吹いた。

無心だけど後ろから板橋さんのピアノが、瀬尾くんのベースが、レオナのタップがど、いけ!いけーー!と背中をおしてくれる。心地いい、でも1分ぐらいしか続かなかったソロだったと思うけど、後ろを振り返ると瀬尾くんが目を開き「イイゾー!」という顔をしていた。

放心状態。

1分でも力を使い切ったのに、その後、3人の演奏は迫力を増し続ける。凄い!こんなの毎日のように毎晩のようにやっているのか!



後半に進むと板橋さんの演奏も、より一層力が入ってきて、ピアノの事が気になるもなと思いながらも、後ろに座っている木村さんの顔を見ることはできない。この場にいるのは確認出来るのでピアノがどうにかなってはいないだろう。



最後の曲は「満月の夕べ」を僕たちも入って楓子ちゃんが歌う。

能登地震のことも、終わらない紛争のことも昨年からのやりきれない思いが込み上げてくる。サックスを吹いたけど、どう吹いたかは今となっては覚えていない。


アンコールは板橋さんの名曲「渡良瀬」もちろん何回も聞いた曲で、板橋さんが「一緒にやろうよー」といってくれたけど、これは座って聴きたかった。じっくりと。




演奏は休憩はさんで3時間ほどだった。


圧倒される雰囲気の中、来てくれていた子どもたちが手作りのビニール凧で遊び出したり、木登りしたり、鬼ごっこしたり、この場所の正しい使い方を実践してくれていたことが嬉しかった。

3人の音楽のエネルギーを受けながらも、自分たちのエネルギーを出す子どもたちの感性を尊敬する。




帰っていく人たち一人一人に挨拶をすることができなかったので残念だけど、しょうがない。ステージの片付け、打ち上げの準備でその時はまだ余韻に浸る暇がなかった。


ピアノを部屋の中へ移動する時に、板橋さんが木村さんを呼んで記念撮影。「このピアノ凄いよー、調律もよくやったねー!なかなかこんなピアノないよー」と。よかった、最後まで耐えてくれた。

ある時木村さんが「鳴らないピアノはピアノが悪いんじゃなくて、それは調律師のせいだから」と言ったのを思い出した。「今日鳴りに鳴りまくったのは木村さんのおかげですね」と言おうとしたら「今日の功労者は木村さんだよ」という板橋さんの言葉。これは夢じゃない。よかったよかった。


木村さん、嫌かもしれないけどこのピアノをこれからもよろしくお願いします!




打ち上げは手伝ってくれた人たちと、北海道時代の瀬尾くんを知る、現在宮崎に移住してきいる友人家族たちでそれぞれの話があちこちで盛り上がっていた。

神楽先輩2人も焼酎とビールを持参で参加してくれた。焼酎はたっぷり用意していたのに・・・。

そしていつもの神楽の話で盛り上がり、いつかバンドとコラボをという話もでた。面白そうだ。




朝、気がつけば布団で寝ていた。夢は見なかった。

この日も快晴。みんなゆるりと起きてきて出発準備。遅い朝食の後、雨が降った場合に使わせてもらう予定だった神楽殿を見に行って新しい可能性を発見する。神楽殿でライブもいいなあ。


移動する部屋と化したハイエースに乗り込んで4人は次のステージが控える熊本へと出発した。


その後、熊本、北九州、広島での3人のライブ熱かったこと言うまでもない。

僕たちもまだあの日の熱が冷めないままでいる。

揺さぶられたステージも、叩き起こされたピアノも、そして僕たちも次の出番を待って熱い気持ちを燃やし続けるのである。




ライブ終了3日後に電話が鳴った。

僕たちが山梨で働いていた時からずっとお世話になっている方の娘さんからだった。

「27日に母が亡くなったの」と。

その方は横浜の施設に入っていて、ちょうど1年前くらいに会いに行ったところだった。

「最後に行きたいところは2人のところだってずっと言ってたよ」

山好きだった方なので一緒に高千穂峰に登りましょうと誘っていた。


あの日一緒にライブを聞いていて「いい音楽だね」と言いながら山を眺めていたのかもしれない。




写真提供:土田 凌




山の家 野らり暮らりの住人たちが愛してやまない三人の表現者たち

”濤踏(とうとう)”のライヴを開催します!



レオナ * タップダンス・全身打楽器

板橋 文夫 * ピアノ

瀬尾 高志 * コントラバス



日時:2024年3月30日(土)

   14:30 受付開始

   15:30 開演



会場:山の家 野らり暮らり (恵はりきゅう院)

   宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田6766-1 

   (Google mapで検索の際は“恵はりきゅう院”と入力してください。

    住所で検索すると、違う位置が表示されることがあります。)



完全予約制 3000円



予約・問い合わせ 080-4315-8600(山本)





*会場は野外です。天候を見ながら、防寒着などご持参ください。


*飲み物とお菓子の販売を予定しています。(vote cafe出店予定)


*16さい以下は入場無料です。


*雨天時は、祓川(はらいがわ)神楽殿が会場となります。

 前日に決定しますので、わからないときは電話でお問い合わせ

 いただくか、このブログまたはインスタグラムにてご確認ください。





Toh Tou / 濤踏

怒濤に踏む! と書いて、濤踏 。とうとうと読む。2015年結成。タップダンスをルーツに、鉄板や鎖やステンレスボウル等、あらゆるものを踏み擦り叩き演奏する唯一無二の表現者、レオナ。渡良瀬やグッドバイなど名曲を生み出し、ドラマーのElvin Jonesとワールドツアーするなど、世界的な演奏家である、板橋文夫。ふたりが最も信頼する、熱く朗々と歌うような倍音豊かなコントラバス奏者、瀬尾高志。この三者がタッグを組んだ。根源的な衝動と喜びに突き動かされる三つ巴!






つづき。



交通事故に遭ったのが、誰だったのかはわかりません。


やまちゃんが現場を見に行きましたが、

直視できずに帰ってきました。


だけど、2匹いたような気がする、と目を伏せます。




しばらく、誰も来ない日が続きました。


いつもすぐに空っぽになっていた洗面器の水も、減らなくなりました。

暗闇の中に影を探しますが、暗闇は暗闇のまま動きません。


どうして来ない?

どうして来ない?


もやもやとやりきれない気持ちを抱えたまま、過ごしました。




ところが、小さな気配が、またチラッチラッと感じられるようになったのです。

庭に出ると、何かが全速力で、デッキの影や木材の間あたりを横切ります。


ある朝カーテンを開けると、居間の窓のすぐ下のところから、

小さな影が素早く去りました。


「おる。」


もしかして、夜ここで寝てるのかな。


いりこを置いておきました。

なくなっていました。


次の夜には、食べ物を置いてじっと息を潜めて見ていると、

小さな影がさっと奪って、雨戸の向こうへ消えました。

暗くてよく見えないけど、シノビの2匹の子どもの、おチビさんのほうに似ていました。


次の夜には、同じように食べ物を置いて、動画を撮影して、前に撮った写真と見比べました。

鑑定結果は…


そうだ!あのおチビちゃんだ!


大きめの耳や、ピンク色の鼻、色や模様が、あの日デッキで見たあの子にそっくりです。




母親譲りの警戒の強さで、食べ物もさっと奪って見えないところで食べようとします。

でも、ちょっと前まで赤ちゃんだったワキの甘さからか、好奇心からか、

一瞬ふっとこちらへ寄ってきては、あ、いかんいかん、という様子でまたさっと逃げたりもします。


しかし、なかなか寄り付いてはくれません。



こうなると、なんとかもっと近づきたい、という気持ちになってきます。

「あなたともっと仲良くなりたいんだよ」とアプローチを続けました。


すると、少しずつ心を許してくれていることは、日に日にわかるようになってきました。





ちょっとずつ、逃げ出すまでの時間が長くなって行き、

網戸越しならば甘えてくるようになり、

投げ出した足に興味を示したり、

そのうちに手のひらにのせたお菓子を食べたり、

柱を挟んだ向こう側からなら、猫パンチをしてくるようになり、

用意したカゴに丸まって寝るようになり、

カゴに寝そべったまま猫パンチしてくるようになり…

でも、こちらから積極的に触ろうとすると、シュッと身をかわします。

(特に、やまちゃんの手のにおいを嗅がせると、なぜか途端に逃げ出す。)





変化は突然やってきました。


ある夜もそれまでと同じように、

触れたい触れたいとちょっかいを出す人間たちと、

ダメよダメダメ、とツレない仔猫の攻防がひとしきり行われました。


すると、ついさっきまで「ダメダメ」モードだったのに、

突然めぐの手にすりすり、すり寄ってき始めたのです。

「もう離さない!」といわんばかりの勢いですりすりし続けます。


あまりの可愛らしさとその温もりに感動しつつも、

あまりの豹変ぶりと勢いに、たじろぐめぐ。


夜もふけたので、ひとしきりたわむれた後

名残りを惜しみながら、おやすみと告げました。


ところが、仔猫は鳴き止みません。


それどころか、網戸によじ登ったり、あたりを蹴飛ばしたり、どんがらがっしゃん。


人間たちは、心を鬼にしてカーテンを閉めて寝室へ。

するとミーミーミャーミャーというけたたましい鳴き声が徐々に近づいてきて、

寝室の網戸にもガリガリと何度も登っている様子です。


明かりを消して、じっと静かにしているうちに落ち着いたようでした。




翌朝、寝室の窓を開けると、わたしたちに少しでも近いところにいたい、という様子で

窓のすぐそばで眠りこける仔猫がいました。



かくして、仔猫は野らり暮らりにおける、初の長期滞在猫となるのでした。





さて、この子のことをなんと呼ぼうか。


シノビのことが心から離れないまま、

シノビコだの、ノビコだの、コノビだの、コシノビだの、

なんだかんだあーだこーだあれやこれやとと言いすぎたため、

呼ぼうとしても「えーと…なんだっけ?」と、名前が口をついてこないという事態に。


ついには、めんどくさくなって「ノビ!」と呼んでしまいました。


なんだかしっくりきました。



ひとりぼっちになって、わたしたちのところへやってきたけれど、

ここで、もしくはここをスタートに、ノビノビと、自由に生きてほしい。






もはや、やまちゃんはノビにメロメロです。


泊まりがけの仕事はやめて、ずっとノビといようかな、

などと、よく口走ります。


そんなやまちゃんの気持ちを知ってか知らずか、

ノビは、ぺろぺろしながら上目づかいでやまちゃんのことを見つめ、

「ゴハンちょーだい」と、超絶かわいい猫撫で声で甘えます。


それで、メロメロやまちゃんはどんどんゴハンをあげるので、

ノビのお腹はまるまるとしてきました。





シノビ親子が急接近してきたあの1日は、

シノビからのメッセージだったように思えてならないのです。

「ほら、こんなにかわいいでしょ?これからよろしくね」と。


猫については、いろんな不思議な話を聞きますが、

シノビは、ノビをわたしたちに託して旅立ったのでしょうか。



まぁそれはどうあれ、

ノビは、わたしたちに

あたたかくて優しい日々を運んできてくれました。






いつまでノビが滞在するかわかりませんが、

いてくれる間は、お互いに

場所を、食べ物を、ぬくもりを、

”いま”を、わけあって暮らしましょう。





ずいぶんご無沙汰してしまいました。

久しぶりのブログ投稿です。

まだお会いしたことのなかった方が、このブログを楽しんでくださっている

ということを知る機会があり、ようやく重い腰が上がりました。

(実際に訪ねてきてくださり、うれしい出会いとなりました。)



さて、最近の野らり暮らりに長期滞在しているのは、とある仔猫であります。

あまりのかわいらしさに、すっかり心を奪われております。



この子が滞在するに至ったまでを、書いてみたいと思います。




お話は、少しばかりさかのぼります。


野らり暮らりの敷地は、以前から、地域で暮らす複数の猫たちの通り道になっていました。


そんな中、ちょっぴり気になる存在が現れました。

なんだか堂々とした様子で、たまに外のデッキで座って休んだりしている黒猫です。


毛並みは荒れ気味、鋭い目つき、ワイルドな雰囲気をまとっており、これは野良に違いない。

よく見ると、お腹がややたるんでおり、お乳が目立ちます。出産後の母猫か…


近すぎず遠すぎず、彼女はいつも絶妙な距離感を保っていました。



季節が緩み、わたしたちがデッキで夕食をとることが増えてくると、

なんとなく誰かに見られているような気配を感じるようになりました。


しかし、周囲は暗闇。

ふと、やまちゃんが懐中電灯でカチッと暗闇の中の、

木の影でさらに暗い部分を照すと、言いました。


「おる。」


鋭く光る二つの眼。

さてはあの黒猫。


そこで、食べ物を少し、灯りの下に置きました。

…ずいぶん待ちますが、何も起こりません。


諦めて食事を再開してしばらく、絶妙なタイミングで黒い影がシュッと現れ、

置いておいた食べ物の端っこ部分が消えました。

そしてそこにあるのは、再び、ただの暗闇です。


これは、まさに忍びの技!


そんなこんなを夜な夜な繰り返し、決して私たちの目の前では食べる姿を見せない黒猫。


夜の漆黒に完全に溶け込む彼女のことを、わたしたちは勝手に”シノビ”と名付けました。



徐々に、シノビは距離を縮めてきました。


とある夜には、友人とともに庭で満点の星空を見上げながら

あれこれおしゃべりしていると、闇の中にあの気配。


さっと灯すと、寝そべってリラックスした様子のシノビがいます。

まるで会話に加わっているような雰囲気。

わたしたちが場所を移動すると、一定の距離を置きながらも

ちょこちょこと黒い影がついてきました。


わたしたちのそばにいてくれるのは、食べ物のためだけではないのかもな、

孤高に見える彼女も、ぬくもりのようなものを求めているのかな…

シノビのことを、この場所をシェアする仲間のように感じた夜でした。



とはいえ、ご挨拶はいつも「シャーッ」という警戒する鳴き声です。



それでも心を少しずつ許すようになってきたシノビは、

自分の2匹の赤ちゃんたちを野らり暮らりの敷地内に連れてきたようでした。


母屋から離れた畑の、材木が積んであるあたりで、

チラッチラッと小さな姿を見かけるようになったのです。

そっとのぞくと、赤ちゃんにお乳をあげている時もありました。



でも、母屋のわたしたちに近づくときはいつもひとりで、「シャーッ」とご挨拶。

子どもたちのことは、さすがにわたしたちに近づけるのは危険、と思ってるんだろうな。

そんなディスタンシングな関係がしばらく続きました。




ところがある朝、目覚めてデッキをなんとなしに眺めると、

そこにシノビと赤ちゃんたちがいるのです。

驚きの急接近です。


警戒心が強い2匹の仔猫たちは、こちらに気づいて何度も逃げようとしましたが、

シノビがでんと構えて動じないので、こちらを気にしつつもお乳を飲み続けました。


朝日の中、我が家のデッキで母猫が仔猫たちにお乳をあげている…

その時のなんとも平和な空気は、今も心の中で温もりを持って思い出されます。




この日、シノビは「シャーッ」とは言いませんでした。

それどころか、一日中、子どもたちがこのデッキで過ごすことを許したのです。


小さいコロコロした仔猫がとんだり跳ねたりじゃれあったり、

二匹くっついてお昼寝したり、

それはそれは幸せな空間でした。



でもそれは、この日、たった1日だけのことだったのです。



これが、シノビに会った最後になりました。





その次の日、野らり暮らりのすぐ前の道路のカーブしたあたりで、

猫の交通事故がありました。



つづく。







おとといは年末恒例の餅つき。


今年は、時世を考慮してのふたり開催。



ふたりだと、

まあそれなりに楽しいっちゃあ楽しいし、のんびりできるし、効率はいいのですが、

ふと気がつくと、なんだか、いつもの薪割りや、庭仕事などの作業をしているのとあまり変わらない感じ…

お餅を食べても、美味しいっちゃあ美味しいけど、さほどの感動がない…

あれ?こんな感じだっけ???




いつもの年なら、小さい人から大きい人まで、わいわいわちゃわちゃ、

あーだこーだ言い合って、ちょっとしくじったり、わははと笑い合ったり、ほかの遊びが始まったり。


だからあんなにおいしかったのだな、と気づきました。



だけど、飛び入り参加の猛者たちや、

楽しみに受け取りに来たいつもの餅つき仲間たち、

ご挨拶代わりに餅を持参して出会えたあんな顔こんな顔に、

いとしさと感謝のこみ上げる年の暮れとなりました。



みなさま、どうぞ、よいお年をお迎えください。



やまちゃんのドヤ顔をもって、年末のご挨拶とさせていただきます。



野らり暮らりのある祓川地区には、

国の重要無形民俗文化財に指定されている神楽があります。


祓川(はらいがわ)神楽。

毎年12月の第2土曜日の夜7時から翌朝7時まで、夜を徹して奉納されます。


やまちゃんも、4年前から舞っています。


本来なら、この地区に住み、霧島東神社の氏子で、さらに長男でなければ舞うことは許されない神楽ですが、この祓川地区もほかの地方同様に高齢化がすすんでおり、舞手は減る一方。

一晩中続くさまざまな舞を、同じ人たちが何回も登場して舞っているという状態です。


それで、この土地に移住してきたやまちゃんにも、神楽に出ないか?とお声がかかりました。

しかし、やまちゃん、今この地区に住んではいますが、三男だし、しかも根っからのクリスチャンです(そして見た目は坊主です←関係ない)。


それでも、よか、とのこと。

(懐の深い住民の皆さん、そして寛大な神様方に感謝。)


こうして、最初はあまり気が進まなかったものの、気のいい仲間たちにも可愛がってもらい、ここ4年間、真剣に取り組んでいます。



主な見どころの一つとされるのは、「十二人剣」。


祓川神楽の大きな特徴のひとつが、真剣、つまり本物のよく切れる剣が用いられるという点ですが、その中でも、12人の男たちが狭い舞殿の中で真剣を振り回し駆け回る、勇壮な「十二人剣」はとても迫力があります。


やまちゃんも、3年前から12人のうちのひとりとなり、去年はちょびっと指をケガしましたが、今年は余裕さえ感じられました。





なぜ余裕だったかというと、今年はすでにさらに大きな山を越えた後だったからです。



今年、やまちゃんは新たな演目を仰せつかったのでした。


舞も初めてのものである上に、一人で舞う場面もある演目。

しかも、2ページ分もある”神歌”を覚えて、ひとりで唱えなければなりません。

一聴しただけではなんのこっちゃわからない、古い古い言葉で、音程というほどの抑揚もない、なかなか覚えるにはハードルの高い歌です。

神楽のリズムと音階というのは独特で、わたしたちのような西洋のリズムにどっぷり浸かってしまった新参者にはなかなかつかみ所がなく、でも、すてきに心地よいゆらぎがあります。


しかし、やまちゃんにはもはや”すてき”などと言っている余裕はありませんでした。

そこから、受験前の学生のように、暗記に打ち込むことになるのです…



神楽までのやまちゃんは、3つの時期に分けられます。


11月ピリピリ期:

普段は柔和なやまちゃんが、ピリピリとした空気をまとうようになりました。

暇があれば、過去の映像を見ながら頭に叩き込んでいます。

だいぶプレッシャーを感じているようす。


12月イキイキ期:

舞をほかのメンバーと合わせて、徐々につかめてきた様子。

次第に晴れやかな表情になり、姿が見えないなと思ったら「はなれで自主練してきた!」と部活を楽しむ中学生のように目を輝かせる日も。


直前ウワノソラ期:

レコーダーに吹き込んでもらった神歌を、繰り返し聴きながら口ずさむ日々。

片時も神楽のリズムと節回しが頭を離れないようすで、

よく目が宙を泳いでおり、会話の途中でもフッとどこか遠くへ行ってしまう。

(職場の仲間からも、「どこからか神様の声が聞こえると思ったら山本さんだった」との証言あり。)



そうして迎えた当日。

人前で話すのにもめったに緊張することのないやまちゃんですが、一声目、自分でも声が震えていることに気づいてびっくりしたそう。

でも、堂々とやり切りました。

仲間たちも「まさか全部覚えてくるとは思わなかった」と目を丸くしました。


これで、次から出番が増えることは必至でしょう。

さあ、やれるのか?やまちゃん。





今年は、比較的寒さの厳しくない夜だったこともあり、めぐも、3年越でようやく全ての演目を観ることができました。(ところどころ睡魔に負けて、記憶はとぎれとぎれですが。)


掌に収まる小さな画面で、分刻み秒刻みで自分の気に入った情報だけを選びとることのできるこの時代にあって、

闇の中に揺れる炎に囲まれながら、ただただ目の前でひたすらに繰り返される笛と太鼓、そして人の躍動を感じ続ける。

現代ではめったに体験する機会のない、その間(ま)とゆらぎの中に身を投じていると、時間や空間を超えて、自分たちは太古からの大いなるものの営みの連なりの一部なのであると、実感します。




そして、空はいつの間にか明るくなっていきました。



その年の親とされるお家へ歩いて行き、一年の安定を祈願します。

その締めは、家の玄関に吊るされた藁の束に4本の矢を打ち込むこと。

うち2本はやまちゃんの役目。


パシッときまりました。

きっと、これからの一年は大丈夫。





今年は、残念ながら無観客での奉納となりました。


しかし前日の夜に、霧島東神社の宮司さんは言いました。

「無観客で当たり前、神楽は神様に奉納するものでもあり、亡くなって山へ還っていった方々への奉納でもある。」


元来、神楽は人々に見せるためのエンターテインメントではなく、神様への感謝と祈りを示すためのもの。

また、霧島東神社はもともと、霧島山そのものを信仰対象とする山岳信仰であり、霧島山を道場とする修験者の拠点でした。

今ここに存在はしない、でも、たしかに今ここに存在するもの。

神楽の夜、わたしたちはそうしたものに出会い、思いを馳せるのかもしれません。


神楽の夜が明けた朝、祓川神楽保存会の会長さんも言いました。

「神楽本来のあるべき姿に立ち返ったようだった。」





今、世界中がウイルスという目に見えない存在に揺さぶられ続けていますが、

そこに何を見て、どう振舞うのかは、わたしたちひとりひとりに委ねられているのでしょう。

ここからが、はじまりなのかもしれません。



いつも、このひとは突然やってきます。

山の達人。

18年前、やまちゃんをエベレストへ導いた先輩です。

(その経験がなければ、もしかしたら今のこの暮らしもなかったかもしれません)


この度は愛する妻と犬とともに来訪。


やって来たかと思ったら、あっという間に野らり暮らりの庭を快適な住居空間にしてしまいます。


野らり暮らりのいちばん角っちょ。

北に平原を見渡し、南に霧島を見上げ、空いっぱいの星空も、朝焼けも、ぜんぶ独り占めできるその場所が、達人の居場所。


「部屋の中にいるなんて、もったいない。」

という言葉通り、その場所で暮らしの一部始終は行われます。


欠かせないのはかっぽ酒。

青竹をどこからか調達して来て、手際良く酒筒と杯を作成。

焚き火であぶって燗をつけた日本酒は、最高に美味しい…



豪快に燃える火に囲まれて、おふたりのはじける笑い声が夜空に放たれていきます。


翌日は、どこからか自然薯を掘って来てプレゼントしてくれました。

半袖Tシャツ、汗だく、そして眩しいばかりの笑顔で!



何から何まで自分たちで用意され、やまちゃんとめぐは我が家の敷地内にいながらにして、大変なおもてなしを受けたのでした。




ついには、山の神様までこの場所に降臨させてしまいました。



山の達人は、野暮らしの達人で、遊びの達人で、人生の達人でもありました。




そしてやまちゃんは、山の神に捧げられたのでした…



さかのぼり日記。

2020年6月28日。


やまちゃんとめぐが山梨県清里に住んでいた頃に親しくしていた、ちょいワル・ダンディーなパン屋さんがやってきました。

さいきんの趣味は野鳥を撮影することだというちょいワルパン屋さん、

聞けば、野らり暮らりへ来る前の4日間、近くの森でおめあての鳥を待ち続けていたけれど、まだ出会えていないとのこと。

また翌日も行くというので、ちゃっかり便乗して森へ行くことにしました。


野らり暮らりの近くにある"御池野鳥の森”は、四季折々、さまざまな野鳥が観られることで有名で、全国各地から愛鳥家たちがやってきます。

パン屋さんが粘っていた森の中の”観察小屋”へは、お散歩がてら行ったことはありますが、その中で長い時間過ごしたことはありません。

なんてことのないただの薄暗い小屋だと思っていたわたしたち。

たいして野鳥に興味あるわけではないし、そんなに長時間そこで過ごすなんてムリムリ、すぐに飽きるだろうから、適当に帰りますね〜なんていいながら、小屋の中の丸太の椅子にそれぞれ腰掛けました。


おめあての鳥は、”アカショウビン”。

てがかりは、聞こえてくるキョロロロロ〜という鳴き声です。

息をひそめて、耳をそばだてて、1時間、2時間・・・

3人それぞれに別々の窓の外の緑をぼや〜〜〜〜〜〜っと眺めながら、ただただ耳に集中し続けます。

あちらからやってきてこちらへ戯れながら去って行く鳥たちの声、

木々と風の出会う音、

鹿のよぶ声・・・

そうしているうちに、なんだか森にとけていくようです。

このまま動きたくない〜という、冬の朝のお布団の中のような気持ちよさ。

からだの疲れや、あたまの中のもやもやが、ふわふわ流れ出すようでした。

さっさと帰ろうと思っていたけど、もうしばらくはここを離れたくありません。

パン屋さんが4日間も出会えなかったのに、そう簡単に出会えんやろうなー、まいっかー・・・


そうして待つこと約5時間。

そのときは突然やってきました。

鳴き声も遠ざかったきり聞こえてこないので、3人でなんとなくおしゃべりしているときのこと、

パン屋さんの動きはすばやかった!

「きた!」とカメラに向き直った先に、現れました、アカショウビン。


小屋の前の池のほとりにちょこんと留まって、キョロキョロしながら、時折じゃぶんと水に飛び込みます。

ぶるぶるっとからだの水をはらい飛ばしては、羽根をひろげてくちばしで毛繕い、そしてまたキョロキョロ・・・

逃すか、とばかりに、興奮しながらひたすらシャッターを切る、カメラ小僧ふたり。

直接見ていたい派のめぐは、双眼鏡をのぞいたりしながら

「ひゃああああ、かわいい〜!かわいい〜!」と思わず口をついてでてきます。

自然の造形というのは、どうしてこんなにも美しいのでしょうか。

5分くらい、そうやって過ごして、飛び去って行きました。

こうして、すっかり鳥の撮影に魅了され、パン屋さんのカメラがとってもうらやましくなったやまちゃんは、また新しいカメラが欲しくなりました。


よき出会いに恵まれて、帰り道は足取りも軽いです。

ちょっと寄り道していこうか、と、小池方面へ。

御池へは何度も行っていますが、小池ははじめて。

あまり人は寄りつかないのでしょう、御池よりもよりワイルドな雰囲気が漂います。

水を飲んでいた鹿の群れがこちらの様子を伺いながら去って行き、ざわざわといろんな鳥の声につつまれます。

ちょうど蝉が脱皮しているところでした。




野らり暮らりで暮らしていると、あたり前のようにいろんな声が聞こえてきます、

あーきれいな声の鳥が鳴いてるねー、と耳を澄ましたり、その姿を双眼鏡で眺めはしても、どんな鳥だろうとか、なんて名前だろうとか、考えたりおもいをめぐらすということはあまりしませんでした。

一羽のアカショウビンとの出会いは、そんなわたしたちの日常をほんの少し変えてくれました。

時々気になったら、どんな鳥かな?と調べてみたり、どんな姿で鳴いているのだろう、どんな旅をしているのだろう、と想像してみたり。

すこしだけ、この地球の仲間であるとりたちと、親しくなれたような気がします。


声を聞いて、思い浮かべることのできるたった一羽のかわいいコがいること、それは、ほんのささいなことだけど、ずいぶんとわたしたちの心を豊かにしてくれるようです。



そして、ちょいワルパン屋さんは、自転車やらなんやらおもしろそうなものをたくさん詰め込んだワゴン車で、次のおもしろいことをさがして、さっそうと去って行きました。



梅雨はいっときお休み中。

青空の気持のいい日々です。


こういう晴れ間に、集落のあちらこちらから聞こえてくるのはモーターの音です。

草刈りや、木の剪定。

こうした音は、たぶんここに昔から住む人たちにとっては当たり前なのでしょうが、

比較的”まち”から移り住んだわたしたちにとっては、ひとと野山とが交わり合う営みの、心地よい音楽のように聴こえることがあります。

そしてその合間には、名をしらない渡り鳥たちがさえずるのです。


やまちゃんも時間をつくって、野らり暮らりの庭や、ご近所さんの草刈りや剪定にと、モーターをうならせます。

なにしろ、植物は伸びるのです。

いつまでもつづく追いかけっこです。


お気に入りの作業用パンツも、風に舞ってすがすがしいかぎりです。



薄暗くなってきてあちこちから聞こえてくるのは、かえるの大合唱です。


目の前の田んぼでは、田植えに備えて水を張り、

この季節のこのひととき、水面に、木々や山や雲や空の色や、

そんなものたちを鏡のようにしずやかに映し出します。


絵画のような、野山とひととの営みです。



いま野らり暮らりには、ちょっと眼をひく旗がふわりふわり、舞っています。

ハンカチたくさん洗濯したのでも、毎日運動会やってるわけでも、ありません。

やまちゃんをかつてヒマラヤへと導き、いつも生きることのおもしろさを教えてくれる人生の先輩がプレゼントしてくれたものです。


”タルチョ(ルンタ)”というこの旗は、ヒマラヤ周辺のチベット文化圏でよく見られるもの。

経文が書かれた祈りの旗で、

風に揺れるたびにお経を唱えるのと同じ効果をもたらすとされているそうです。

旗の5つの色は、それぞれ空、風(雲)、火、水、土をあらわしています。


調べてみると、こうありました。

『自然災害、不作、家畜や人間の伝染病、旅、巡礼、新築、結婚式、新年の祭りや宗教的な行事などの時に、その土地や家の悪霊や災難を祓い清め、すべての生きとし生けるものが平和で幸福と健康に恵まれて過ごせるようにという祈願が込められている。』
https://www.tibethouse.jp/about/culture/lungta/


野らり暮らりから旗が翻るむこうに見えるのは、ヒマラヤ山脈ではなく、

長年この土地に暮らす人たちが信仰の対象としてきた高千穂峰です。




ああ、気持ちのよいゆらぎです。


信仰する神様が違っても、暮らす場所が違っても、

ひとびとの思いは共通していること。


はためいているとりどりの色が、

万国旗のように違いをあらわすものではなくて、

地球上すべてのいのちに共通する源を示すものであること。


ふわりふわり、気持ちのよいゆらぎです。



祈りは風にゆだねられ、

時の流れるままにわが身は削られてゆくのです。


野らり暮らりの木々のほとんどは、大家さんが植えてくれていたものです。

花が咲く木や、実がなる木、香りのいい木などいろいろありますが、

その持ち味を十分に活かしきれていないものもあります。


そのうちのひとつが、お茶でした。



お茶もみをならってきた、という友人が、息をふきこんでくれました。



ちょうどこの日、薪割りやたき火をしたい、と集まっていた友人たちも一緒に

お茶もみを体験して、おいしく飲んで、ほっこり。



たまたまこの場所に暮らしているのはわたしたちですが、

わたしたちを通じてこの場所にやってくるひとりひとりが

この場所で、その瞬間瞬間にひき起こしてくれる

さまざまな反応を見るのがたのしくてなりません。












さかのぼり日記。

5月のゴールデンウィーク。


野らり暮らりには、手をくわえたらもっとたのしくなるよね、と言いながら、

長いこと何もやっていないことがあれこれあります。


誰もお泊まりがなかった2020年のゴールデンウィーク。

ついにその中のひとつに手をつけました。

部屋の壁の漆喰ぬりです。



きっと2日間もあれば終わるよね、あと残り2日間、なにしよっかー・・・

という、(いつも通りの)甘い見通しに反し、

結局4日間かかりました。


うち2日間、力強い助っ人兄弟が来てくれて、たすかったー!

合間には東北や関東のひとたちとの『オンライン芋煮会』という未知の体験もさせてもらいました。




手強かったのは、アクです。

ベニヤで、しかも囲炉裏があるために燻されてきた壁。

アク止めを塗った上に漆喰を塗った部分から、一晩明けると茶色いシミが・・・

厚めの二度塗りをして、どうにかなりました。




職人のように力強くもくもくと作業を続け、広い壁を平らに仕上げていくやまちゃん。

一方、きれいに塗ることに早々に飽きて、たのしければいいよね、と、トイレの壁をキャンバスに遊ぶめぐ。


野らり暮らりは、普段から意外とけっこうこんなかんじで成り立っているような気もします。




塗る前は、山小屋っぽい。これもいいけど。


塗ったあとは、落ち着いた雰囲気になりました。


なんとなくあたらしいかんじになったお部屋に、どうぞ泊まりに来てくださいね。